糸島山門工事プロジェクト 現場レポート2

山村康正

時を超えた技 ― 槍鉋による柱仕上げ

九月中旬 糸島に大工があつまり建方に向けての作業が始まる。私の役割は、柱の仕上げ作業。その道具に選んだのは「槍鉋(やりがんな)」だった。飛鳥時代から室町時代初期まで用いられ、法隆寺の柱や梁にもその削り跡が残るこの道具は、職人たちが木と語り合い、命を吹き込む象徴だ。しかし、現代では台鉋(だいがんな)の進歩により、槍鉋を用いる光景はほとんど見られなくなった。

1300年以上の時を越え、私はこの伝統的な道具を手に取り、一削りするたびに現れる笹葉模様に心を震わせた。一本一本の木に刃を通すたび、1300年前の職人たちと対話しているような感覚が湧き上がる。この作業はただの仕上げではない。過去から受け継がれた魂と技を木に刻み込み、未来へ繋ぐ行為そのものだった。

共にこの作業に挑んだのは、熊本の浦田大工、長崎の野田大工、そして私の三人。それぞれの技術と思いを一つにして取り組むこの作業は、決して楽ではなかった。すべてが手作業。木の堅さや刃の角度に全神経を集中させ、身体は疲労を訴えても、心の中では達成感と充実感がそれを上回っていた。

休憩時間には、職人同士が道具の話や建築の未来について語り合う。そこには、同じ志を持つ仲間たちの絆と、互いを尊敬し合う空気があった。古い技術を扱いながらも、新しい価値を生み出そうという熱意が、現場を一つにしていた。

建物の姿が現れる ― 大工の歓喜

工場での刻み作業を終えた木材が、ついに現場へと運び込まれた。そして迎えた建方の開始。これまで職人たちが丁寧に刻んできた木材が、一つ一つ組み上げられ、徐々に建物の全体像が現れる瞬間は、大工としてこの上ない喜びのひとときだった。

木と木が結びつき、建築物が形をなしていく。その光景は、私たちの汗と努力が確かに報われた証だった。これまで手間を惜しまず刻んできた部材が一つの形となる様子を目にすると、現場にいる全員の士気が一層高まっていく。こうして、一つの建物を完成へと近づけるプロセスは、大工としての醍醐味そのものである。

加賀田棟梁と堂薗会長、この二人の存在がなければ、このプロジェクトは実現し得なかったと言っても過言ではない。

加賀田棟梁は、現場での技術指導や工程の確認に加え、施主や業者との調整、さらには職人たちの宿泊や食事の段取りまでを一手に引き受けた。彼の的確な判断と細やかな気配りは、現場全体の空気を和らげ、職人たちが作業に集中できる環境を作り出していた。その背中には、大工としての長年の経験が滲み出ており、私たちは彼の言葉に信頼を寄せていた。

一方、堂薗会長は、自らも刻み作業に加わり、職人たちと同じ汗を流しながら、工程管理や役割分担の采配を見事にこなしていた。刻みの合間には現場を巡り、作業の進捗を確認するだけでなく、職人一人ひとりに声をかけ、細かなアドバイスを与える姿が印象的だった。また、時折冗談を交えて場を和ませるその振る舞いが、現場の空気をさらに温かいものにしていた。彼の手には木くずが付き、作業着には刻み作業の跡が刻まれていたが、その真剣な姿勢と自然な采配ぶりが、職人たちに安心感を与えていたのだ。

特に印象的だったのは、加賀田棟梁と堂薗会長の笑顔だ。どんなに忙しくても、二人は職人たちに向けて優しく微笑み、感謝の言葉を忘れなかった。建物の骨組みが組み上がり、全体像が見えてきた瞬間、二人の顔に浮かんだ笑顔は格別だった。その笑顔は、ただの満足感ではなく、現場を支えた者としての誇りと、職人たちへの信頼に満ちていた。それを見た私たちは、さらに作業への意欲を掻き立てられたのを覚えている。

この二人のリーダーシップと、現場に立つ全員の情熱が一つとなり、現場は滞りなく進行した。そして、何よりその過程で生まれた一体感と笑顔は、このプロジェクトの成功を象徴するものだったのだ。

上棟の喜び ― 糸島に刻まれた伝統の証

建物の骨組みが完成し、いよいよ迎えた上棟式。朝早くから準備が進められ、現場には緊張感と高揚感が入り混じっていた。職人たちは清掃を行い、手を合わせて木材一つひとつに感謝の気持ちを込めた。儀式が始まると、棟木が慎重に所定の位置へと据えられる。その瞬間、現場にいた全員の心が一つになり、湧き上がる拍手と歓声が青空に響き渡った。

「やっとここまで来た」
その声には、単なる達成感を超えた安堵と誇りが込められていた。上棟とは建築の一つの節目であり、木と人の絆を象徴する特別な瞬間である。私たち職人にとって、この時こそが汗と労力が形となる瞬間だ。

上棟式の後には、現場の中央に設置された祭壇を囲んで、全員が笑顔で杯を交わした。加賀田棟梁の挨拶が始まると、職人たちは静かに耳を傾けた。彼が「この建物は、みんなの努力が結晶となったものだ。次の世代にもこの誇りを残していこう」と語ると、胸が熱くなり、一人ひとりの顔に新たな決意が宿るのが感じられた。

私は上棟式を終えたところで現場を後にすることになった。しかし、その後も現場では造作作業や左官仕事が続き、細部へのこだわりが詰まった仕上げが行われた。そして数週間後、ついに糸島の地に新たな建築物がその姿を現した。

完成した建物は、ただの建築物ではない。遠くから眺めると、すっと空に向かって伸びる姿が威厳を放ち、近づくと一つひとつの部材が持つ温かみが感じられる。内部に一歩足を踏み入れれば、木の香りが鼻をくすぐり、手仕事の跡が生き生きと残る空間に心が癒される。この建物は、日本建築の美しさと匠の技を存分に体現しただけでなく、時代を超えた伝統的な工法と、現代の大工たちの挑戦が融合した、新しい希望の象徴となったのだ。

特に、渡り顎工法でつながれた梁と柱の接合部には、技術的な難しさを超えた美しさが宿っている。現場で槍鉋や手斧を使い、一本一本手仕上げした木材たちは、まるで職人たちの思いを語るかのように静かに佇んでいる。その存在感は、ただそこに建っているだけで、訪れる人々の心に深い感銘を与えるだろう。

「これは未来への橋渡しだ」
完成した建物を見上げながら、ふと心に浮かんだ言葉だった。この建物には、過去の職人たちから受け継いだ知恵と技術、そして現代を生きる私たちの挑戦が織り込まれている。未来の世代へと引き継がれるべき日本の建築文化を、この地に刻めたことは、私たち大工にとって何よりの誇りである。

糸島に完成したこの建物は、単なるモノではない。日本の技術が時代を超えて息づき、職人たちの魂が結晶となった証。その場に立つ人々が、自然と心を奮い立たせるような希望の象徴として、これからも生き続けるだろう。

次世代への希望 ― 大工の未来を想う

糸島の現場で手掛けた建物が完成し、その美しい佇まいを見つめながら、私はふと立ち止まり、次世代のことを考えた。この建物は私たちが築いたものだが、それ以上に、未来の職人たちへと渡すべき希望の象徴である。しかし、伝統技術を次の世代に引き継ぐ道のりは、決して平坦ではない。

日本の建築文化を支えてきた大工という職業は、年々その担い手が少なくなりつつある。統計を見れば、大工人口は減少傾向にあり、特に若い世代がこの仕事を選ぶことが少なくなっているのが現状だ。技術を学べる場も限られてきており、効率化が求められる現代社会の中で、大工という職業が注目される機会自体が減っている。これに加え、重労働というイメージや収入面での不安定さから、若い人たちが職人の世界に足を踏み入れることをためらうのも無理はない。

しかし、そんな状況の中でも、私は確信を持って言いたい。「大工は本当に楽しい仕事だ」と。木と向き合い、自然と語り合いながら、一つひとつ自分の手で形を作り出す。その過程には、達成感だけではなく、深い充実感がある。木材を削り、加工し、組み上げるたびに感じる「ものづくりの喜び」。そして、それが人々の生活を支える建物となり、長く未来に残るという事実。この仕事が持つ意味の大きさは、どんな職業にも負けない誇りを私に与えてくれる。

 

糸島でのプロジェクトでは、こうした大工という職業の魅力を改めて実感しただけでなく、同じ志を持つ仲間たちと共有できたことが何よりも励みになった。全国各地から集まった職人たちの中には、若手からベテランまでさまざまな経験を持つ者がいた。それぞれが自分の得意分野を持ち寄り、技術を共有し合う姿は、大工という仕事がいかに奥深く、学びが尽きないものかを物語っていた。

また、この建物に刻まれた「渡り顎工法」や「槍鉋で仕上げた柱」「手斧の斫り跡」は、私たちの手で伝統技術が次の形へと受け継がれた証だ。それは、効率だけを追求する現代の建築では得られない温かみと、人間の手のぬくもりが宿ったものだ。これを目にした次世代の大工たちが、少しでも興味を持ち、この道を歩みたいと感じてくれることを願わずにはいられない。

 

完成した建物は、ただの構造物ではない。それは、私たち職人一人ひとりの思いと、支えてくれたすべての人々の力が結晶となったものだ。加賀田棟梁や堂薗会長をはじめ、現場で力を尽くした仲間たちの情熱と努力が、この建物にはしっかりと刻まれている。上棟式の日に見たみんなの晴れやかな笑顔は、これから先も忘れることはないだろう。

このプロジェクトを通じて感じたのは、職人同士の絆と、未来を見据える希望の力だ。糸島に完成した建物は、単なる過去の技術の再現ではない。私たちが新たに切り開いた伝統と革新の融合であり、未来へ向けた大工の挑戦の証だ。この建物が、次の世代の職人たちへの道しるべとなり、日本建築の美しさや奥深さを後世に伝える役割を果たすことを願ってやまない。

そして、私はまた歩み始める。木の香りに包まれ、自然と向き合う日々。その手で未来を作り出す仕事の素晴らしさを信じて、次なる現場へと足を運ぶ。糸島での経験と仲間たちとの絆を胸に、大工としての使命を全うし、次世代への希望を灯し続けたいと思う。

――九州の地に響く、匠たちの挑戦の物語。
糸島に刻まれたこの建物は、過去と未来をつなぐ希望の光となり、この国の美しさを後世に語り継いでいくだろう。