「糸島山門工事プロジェクト」九州杢人の会棟梁奮闘記
「糸島山門工事の計画」
令和5年の春ごろに糸島市志摩岐志に大石の野面積みで石垣が完成して、山門の設計について構想と構法を練って行きました。
山門の完成したイメージを確たるものとすべく、九州杢人の会の設計顧問である丹呉さんに相談すると、丹呉さんから、「法隆寺だね。」と一言。
私の脳裏に、あの丸太柱が建つ御堂のイメージがおぼろに浮かんでは消えました。
「九州杢人の会総会」
令和6年6月の九州杢人の会総会にて、「糸島山門工事プロジェクト」を発表しました。丹呉さんの図面を見て時間の制約や工期などで困難さがありましたが、山村棟梁が梁組と仕上げ作業を引き受けてくれることとなり、堂薗会長及び参加棟梁の賛同を得て正式に「糸島山門プロジェクト」がスタートしました。着工までに紆余曲折ありましたが、糸島山門工事現場に丹呉さんを迎えて、山村棟梁、池上棟梁との打ち合わせが重ねられました。
「宮大工 山村棟梁」
7月に山村棟梁が梁組の伊都国のスギ丸太材を山口県下関市の山村工務店加工場に運び込んで、墨付け、刻み、丸太の手斧掛け、大斗(桝)の加工を山村棟梁と大工さんたちで開始しました。夏の一日。暑中見舞いを兼ねて、山村棟梁を訪ねました。難しい墨付け、刻み、仕口の加工を皆さんが喜んで作業されているのを拝見して、安堵しました。山村棟梁が手掛けた下関市綾羅木海岸のカフェでこの先の工程について話し合いました。山村棟梁の笑顔に見送られて手斧削りの丸太材に心を残しながら山村工務店を後にしました。
「伊都山燦加工開始」
池上棟梁から「自分は8月初旬、堂薗会長が丸太墨付けが出来る準備として芯墨を打ちにいきます。」と申し出をいただき、池上棟梁が8月初旬から伊都山燦加工場にて。芯墨打ち作業に取り掛かりました。
8月お盆休みから、堂薗会長(鹿児島)、押川棟梁(宮崎)、河野修一大工(宮崎、押川棟梁の後輩)3人が加工場に到着しました。堂薗会長が各々の棟梁間のスケジュールを調整していただき、その作業工程に従って、宿泊所の手配などを進めていきました。当日宿泊や急な変更にも対応できるように3軒の民宿を抑えて準備怠りなく受け入れ態勢を整えました。今回の加工場では堂薗会長が墨付けに専従して、丸太の刻みを押川棟梁と河野修一大工が施工しました。
「丹呉さんと伊都山燦加工場」
丹呉さんが多忙の中、埼玉から駆けつけていただき、堂薗会長、押川棟梁と伊都山燦加工場にて、墨付け、刻みの進捗状況を検討し設計の質疑を行いました。堂薗会長、押川棟梁とも問題を解消した笑顔が見えました。加工に着手して以後、次々と棟梁の皆さんが参加して刻みが進んで行きます。
熊本から浦田棟梁が刻みに参加しました。堂薗会長、山村棟梁、押川棟梁が迎えます。堂薗会長と浦田棟梁の真剣な打合せが頼もしいですね。
山村棟梁と浦田棟梁が槍鉋で丸太の木目を美しく削りだしてます。
簑原棟梁と河野友幸大工が大分から参加されて、加工場がにぎやかになりました。押川棟梁と簑原棟梁が追っ掛け大栓継ぎの仮組をしてます。
簑原棟梁が仕口を加工中です。
押川棟梁が刻み作業に汗を出し、河野友幸大工が仕口の鉋をかけてます。
長崎から野田大工(山村棟梁の弟弟子)が参加されました。野田大工はすでに、山村棟梁と山村工務店加工場で梁組の加工に携わってます。気心の知れた山村棟梁と野田大工が杉丸太へ槍鉋をリズムよく掛けてます。
加工場では、槍鉋の削り会が行われました。九州杢人の会のTシャツが並んで、いい感じです。簑原棟梁と河野友幸大工が槍鉋削りにかかってます。
「伊都山燦加工場俯瞰」
伊都山燦加工場は建物が広くて屋根が高いので丸太や梁材、桁材を広く置いても余裕があり、安全対策にも気を配って作業が捗ります。
「山村工務店より梁材配送」
山村棟梁が、刻み加工して、手斧斫りされた丸太梁一式を山門建前現場へ搬入されました。
「建前準備作業」
刻み、ほぞ、仕口加工も進み、建前準備の丸太柱と梁、桁材の仮合わせが始まりました。
「丹呉さん打合せ、建前現場に部材運搬」
9月23日(月)24日(火)部材仮組完了。24日に丹呉さんが来られて堂薗会長、押川棟梁と最後の打合せを行いました。丹呉さんも加工の進み具合に安心されていました。
建前現場に部材を運搬しました。
「建前開始」
山門は切妻、南面妻入り。番付けは、正面東側から、
「梁間」 い、ろ、は(棟)、に、ほ、
「桁行」 奥から、一、二、三、四、
「建前」は、「ほの一」から開始です。
9月26日(木)杉丸太と梁材、桁材を組む。
杉丸太柱「ほの一」を吊り上げる。
作業は照明を点灯して夜間作業へ。
9月27日(金)建前二日目。杉丸太柱、「ほの三」と梁を雇いでつなぐ。
柱頭につなぎ梁を打ち込み、
丸太柱「ほの三」「いの三」を組上げる。
土場では次の柱組を組込、「ほの四」「いの四」「差し鴨居」を組み付ける。
建前二日目も夜間作業になりました。小屋束が建てられて、「母屋」「い通り」が打ち込まれました。
「建前、棟上げ完了」
建前のクライマックス。棟木に皆でお神酒をささげてお祝いして、棟木を吊り上げ全員で無事に棟に収めました。堂薗会長、山村棟梁、参加された棟梁たちの安堵感にあふれた笑顔が素晴らしかったですね。河野友幸大工の万歳にも喜びがあふれてます。
「上棟式」
9月28日(土)上棟式。快晴です。昨日の夜間作業にもかかわらず全員が元気に棟にお神酒を供えて、五色の吹き流しを揚げて祝いました。いい笑顔がそろいました。九州杢人の会の棟梁の皆さんの力で「糸島山門工事プロジェクト」が無事に完了しました。
「屋根葺き」
九州杢人の会の後を引き継いで、糸島の宮尾大工親子が杉板厚1寸を2重貼り、目板押えを施工。丹呉さんが屋根に1寸の「むくり」を付けているので厚1寸で長さ10尺の杉赤身板を貼るのはかなり手ごわかったようです。化粧棟木を載せて屋根仕舞いを2週間ほどかけて完了しました。
「左官工事」
10月中旬、田﨑左官が土壁の仕上げに掛かりました。福岡県うきは市甘木の土を塗り上げてます。土壁が乾燥後は明るい色に発色して杉丸太、梁材との相性がいいですね。
「糸島山門完成」
11月初旬。糸島山門が完成しました。外部と内部共にすばらしい丸太柱、梁、桁組の建物が建ち上がりました。
「糸島山門ライトアップ」
11月中旬。山門をライトアップ。夜景に映える山門の雄姿です。
梁丸太と桁丸太の山村棟梁の手斧削りの「はまぐり刃跡」がライトアップされて、映えてます。
「御礼とあとがき」
糸島山門工事プロジェクトの相談が来た時、設計の丹呉さんから「法隆寺方式だな」と提案がありました。そのころ私は、机上で法隆寺の画像を見ながら、大きな期待を抱きつつも難工事が予想されて気持ちを引き締めていました。
丸太の墨付け、刻み、建前までの工事と工期が可能なのかと悩みました。反面、このような機会は、これから二度とないのでは、という思いに駆られました。設計の丹呉さんと打合せを重ねるごとに、この工事は九州杢人の会の棟梁の勉強になり、遺産として棟梁たちの記憶に残る工事になるのだという確信に変わってゆきました。
堂薗会長や山村棟梁との打ち合わせで、スケジュールと工程の分担が決まって行き、伊都山燦加工場に材料が運び込まれて棟梁たちの作業が始まると、それまでの不安が一気に吹き飛びました。それから、私は大きな安堵を持って伊都山燦加工場に行くようになりました。
こうして、丹呉さんの「法隆寺だよ」の提案から、不安から安堵への変化が起こり、「糸島山門工事プロジェクト」の建前棟上げを無事に祝することが出来ました。
九州杢人の会の仲間達との長年のつながりや勉強会がこの建前完成という結果を導いてくれたのだと感謝の念を深くしております。
これまで遠くから見学するものであった寺社仏閣が自分の建築の範囲内に入ってきたように思えて、新鮮な感覚の変化を感じております。
最後にあたり、長期間に亘り「糸島山門工事プロジェクト」に並走して、素晴らしい技術を提供してくださった九州杢人の会の棟梁の皆様にお礼を申し上げます。
特に、本プロジェクトを統率して下さった九州杢人の会堂薗会長と山村棟梁に感謝を申し上げます。ありがとうございました。
2024年(令和6)12月吉日 日新ホーム 加賀田憲治